<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>ボランティア  |  メンタルの強化書</title>
	<atom:link href="https://mental-kyoka.com/archives/tag/%e3%83%9c%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%86%e3%82%a3%e3%82%a2/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://mental-kyoka.com</link>
	<description>仕事・スポーツ・人間関係などの悩みに役立つ、心理学に関する記事を発信するブログ</description>
	<lastBuildDate>Wed, 10 Oct 2018 10:29:10 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=5.2.1</generator>
	<item>
		<title>ボランティアアピールをする人がうざいと感じる理由</title>
		<link>https://mental-kyoka.com/archives/4659</link>
				<pubDate>Mon, 20 Aug 2018 15:04:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[メンタルの教科書 中の人]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[心理・心理学]]></category>
		<category><![CDATA[ボランティア]]></category>

		<guid isPermaLink="false">https://mental-kyoka.com/?p=4659</guid>
				<description><![CDATA[ボランティア活動に励んでいる人を悪く言うつもりはありませんが、やたらとボランティアや募金をした事をアピールしてくる人を見かけると「めんどくさそう人だな…」と感じた経験がよくもあるものです。 ボランティアにより自分がどれだ]]></description>
								<content:encoded><![CDATA[<p>ボランティア活動に励んでいる人を悪く言うつもりはありませんが、やたらとボランティアや募金をした事をアピールしてくる人を見かけると「めんどくさそう人だな…」と感じた経験がよくもあるものです。</p>
<p>ボランティアにより自分がどれだけ社会に貢献しているかを自慢したり、海外に行って価値観が変わった人のようにボランティアをするように積極的に進めてくる人の図太さは、見習うべき点もあれば反面教師にする点もあるものです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>今回は、そんなボランティアアピールをする人に感じる嫌悪感や違和感について紐解いて行きましょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="su-box su-box-style-default" style="border-color:#185c98;border-radius:3px"><div class="su-box-title" style="background-color:#1e73be;color:#FFFFFF;border-top-left-radius:1px;border-top-right-radius:1px">こちらもおすすめ</div><div class="su-box-content su-clearfix" style="border-bottom-left-radius:1px;border-bottom-right-radius:1px">
<div class="blog-card internal-blog-card blog-card-thumbnail-right blog-card-wide cf"><div class="blog-card-thumbnail"><a href="https://mental-kyoka.com/archives/3838" class="blog-card-thumbnail-link"><img width="100" height="100" src="https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/06/gizensya-100x100.jpg" class="blog-card-thumb-image wp-post-image" alt="偽善者がうざいと感じる心理の正体について" srcset="https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/06/gizensya-100x100.jpg 100w, https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/06/gizensya-150x150.jpg 150w, https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/06/gizensya-50x50.jpg 50w" sizes="(max-width: 100px) 100vw, 100px" /></a></div><div class="blog-card-content"><div class="blog-card-title"><a href="https://mental-kyoka.com/archives/3838" class="blog-card-title-link">偽善者がうざいと感じる心理の正体について</a></div><div class="blog-card-excerpt">自己犠牲の精神で誰かを助けたり、ボランティアその社会的な奉仕活動に勤しんでいるのにもかかわらず、どこか利己的な感情が隠しきれなかったり、自分</div></div><div class="blog-card-footer"><div class="blog-card-site"><span class="blog-card-favicon"><img src="//www.google.com/s2/favicons?domain=mental-kyoka.com" class="blog-card-favicon-img" alt="" width="16" height="16" /></span><a href="https://mental-kyoka.com">mental-kyoka.com</a></div><div class="blog-card-hatebu"><a href="//b.hatena.ne.jp/entry/https://mental-kyoka.com/archives/3838" rel="nofollow"><img src="//b.hatena.ne.jp/entry/image/https://mental-kyoka.com/archives/3838" alt="" /></a></div></div></div>
<div class="blog-card internal-blog-card blog-card-thumbnail-right blog-card-wide cf"><div class="blog-card-thumbnail"><a href="https://mental-kyoka.com/archives/4388" class="blog-card-thumbnail-link"><img width="100" height="100" src="https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/07/zikogisei-uzai-100x100.jpg" class="blog-card-thumb-image wp-post-image" alt="自己犠牲がうざいと感じる理由" srcset="https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/07/zikogisei-uzai-100x100.jpg 100w, https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/07/zikogisei-uzai-150x150.jpg 150w, https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/07/zikogisei-uzai-50x50.jpg 50w" sizes="(max-width: 100px) 100vw, 100px" /></a></div><div class="blog-card-content"><div class="blog-card-title"><a href="https://mental-kyoka.com/archives/4388" class="blog-card-title-link">自己犠牲がうざいと感じる理由</a></div><div class="blog-card-excerpt">自分の身を粉にして子供のために睡眠時間を削り働く親。肩の痛みを必死に耐えて投げる高校球児。

このような「自己犠牲」に打ち込む人は、大抵</div></div><div class="blog-card-footer"><div class="blog-card-site"><span class="blog-card-favicon"><img src="//www.google.com/s2/favicons?domain=mental-kyoka.com" class="blog-card-favicon-img" alt="" width="16" height="16" /></span><a href="https://mental-kyoka.com">mental-kyoka.com</a></div><div class="blog-card-hatebu"><a href="//b.hatena.ne.jp/entry/https://mental-kyoka.com/archives/4388" rel="nofollow"><img src="//b.hatena.ne.jp/entry/image/https://mental-kyoka.com/archives/4388" alt="" /></a></div></div></div>
</div></div>
<p>&nbsp;</p>
<h2>ボランティアアピールに感じる苦手意識</h2>
<h3>「君もボランティアすべきだよ」と押し付けがましさが目立つ</h3>
<p>ボランティア活動で感化された人に多いのが「いい経験になるから君もボランティア活動をするべきだ」と頻繁に主張してくることです。</p>
<p>もちろん、災害のボランティア活動をして自然災害の怖さを見を持て肌で感じたり、スポーツイベントのボランティアをしてイベントを盛り上げる経験自体は否定しませんが、かと言って頻繁に押し付けて来られると面倒くさいという気持ちが生まれます。</p>
<p>また、押し付けに対してやんわりと断った場合に「ボランテイアに行かないなんて勿体無いなぁ」「せっかくいい経験ができるのに…」と、あくまでも自分のボランテイア経験がどんな人でも価値があるものだという考えを崩そうとしないのも特徴的です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>よく言えば純粋で素直。悪く言えば自分以外の他人の価値観や境遇に対する思慮が浅く、自分の考えがどんな場面でも通用するという思い込みが強い人と言えるでしょう。</p>
<p>そのため、「ボランティア活動をしていてたしかに評判はいい人だけど、近寄ると面倒ごとに巻き込まれやすい」と感じて自然と距離を置かれる人とも言えます。</p>
<p>また、純粋さが暴走してボランティア活動をしない人に対してやたらと排他的な行動をとったり、同じような意見を持つ人ばかりとのみ繋がりを持つことで思想を先鋭化させてしまうこともあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<script async src="https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script>
<!-- メンタルディスプレイ -->
<ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-client="ca-pub-3566556475066919"
     data-ad-slot="1233055075"
     data-ad-format="auto"
     data-full-width-responsive="true"></ins>
<script>
     (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script>
<p>&nbsp;</p>
<h3>ボランティアしない人に対する上から目線な態度</h3>
<p>ボランティア活動に誇りを持つことは素晴らしいのですが、その誇りが驕りとなってボランティア活動に参加しない人への見下しや侮蔑に繋がる事があります。</p>
<p>「ボランティア活動に打ち込める自分は人間として素晴らしく尊敬されるべき」と考える一方で、「ボランティア活動すらしない人は目先のお金に囚われている卑しい人間」という極端な考え方を匂わせるような行動を感じることがあります。</p>
<p>もちろん、「ボランティアをしない人は卑しい」と思っていても、それを直接口にしたり言葉にすることはまずありませんが、言葉や態度の節々にボランティアをしない人に対する見下す態度が見え隠れするものです。</p>
<p>例えば</p>
<ul>
<li>「ボランティアをしない人は人生損している」と煽る</li>
<li>ボランティアを「してやってる」「してあげている」という上から目線で語る</li>
<li>理想のボランティア論を語り、自分の考えこそ正しいと主張しだす。</li>
</ul>
<p>などの行為です。</p>
<p>また、見下しの対象がボランティアをしない人にとどまらず、ボランティアを必要としている人や別のボランティア団体にまで波及することもあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>話は戻りますが、ボランティアをしない人が全て卑しく自分のことしか考えない人ばかりではないことは冷静に考えればわかるはずです。</p>
<p>また</p>
<ul>
<li>ボランティアをしない人＝悪、正すべき存在</li>
<li>ボランティアをする人＝善、正義</li>
</ul>
<p>とわかりやすい仮想敵を作り、二者択一の対立構造を用意し、ボランティアへの参加を促す行為自体がボランティアに対する不要な偏見を生む原因になります。</p>
<p>なにより自分たちを善や正義と決めつけている行為事態が、自分の行動が本当に間違っていないのかを冷静に調べる機会を放棄しているように思えて、独善に陥るのではないかという懸念を他人事ながら感じます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>「やらない善よりやる偽善」と言って頑固になる姿が苦手</h3>
<p>ボランティアや募金活動でよく聞くのが「やらない善よりやる偽善」というフレーズ。</p>
<p>もちろん、口だけでなんの協力もしない善人よりも、偽善でもいいから労力やお金を提供する人のほうが、ボランティアにとっては有益であることは理解できます。</p>
<p>しかし、一方で偽善でもいいからやるべきだという考えゆえに「偽善でもボランティアになるのならどんな行動でも正当化してしまう」事へのは不安を感じずにはいられません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>偽善でもOKということを拡大解釈して自分の行動の未熟さや思慮の浅さを棚に上げたり、ボランティアをしない人に高圧的になることすらも正当化してしまうのは、果たして本当に問題ないと言えることでしょうか。</p>
<p>また、正当化しているがゆえに反省や内省をすることもなく、次第に独りよがりなボランティア活動に陥り、ボランティアを必要としている人や同業者から顰蹙を買う結末になるのではないかと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<script async src="https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script>
<!-- メンタルディスプレイ -->
<ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-client="ca-pub-3566556475066919"
     data-ad-slot="1233055075"
     data-ad-format="auto"
     data-full-width-responsive="true"></ins>
<script>
     (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script>
<p>&nbsp;</p>
<h3>承認欲求、自己顕示欲の強さが苦手</h3>
<p>「ボランティアで頑張っている自分を認めて欲しい、褒めて欲しい、尊敬して欲しい…」と承認欲求や自己顕示欲が強くてやたらとアピールしてくる人はどうも苦手です。(もちろん、これはボランティアアピール限ったことではないですが…)</p>
<p>この手の人に多いのが、ボランティア活動をしている自分への賞賛を求める一方で、他の人を認めることは頑なにしないという点。</p>
<p>また、同じボランティアをしている人に対しては、批評家のように辛辣に言葉を投げかけ、どことなく喧嘩腰で突っかかりマウントを取るという行動です。</p>
<p>ボランティアとは関係のない人からは一方的に賞賛の声のみを集め、同業者に対しては「自分のほうが優秀なボランティアをしている」とアピールして、自分のほうが上だと認めさせようとするのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>もちろん、自分の貴重な時間を割いて、無償でボランティアをすることは素晴らしいのですが自慢や自分語りが多くなると、聞いている側は負担を感じます。</p>
<p>加えて聞いている側の話は認めようとせず、自分語りを延々と続けるために「ボランティアに熱心なのはわかるけど、その話ばかりして自分の話は聞いてくれないから不公平な気持ちになる」と感じて、次第にめんどくさくなるのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>ボランティアという権威を借りて増長しているように感じる</h3>
<p>ボランティア活動には権威が伴うことがあります。</p>
<p>例えば東京五輪のボランティアともなれば、スポーツの祭典であり最高峰である事実や日本という国家(あるいは東京都の)事業であり、無償の活動であってもその権威にすがりたい人からすれば絶好のチャンスを言えるでしょう。</p>
<p>どういう形であれオリンピックに加わったという事実を元にして、進学や就職活動を有利に進めたり、他の人からの賞賛の声を浴びるという将来設計も描けることでしょう。</p>
<p>もちろん、オリンピックでなくとも災害のボランティアや地域単位のボランティアでも、「ボランティア＝無償で奉仕する尊い行動」というボランティアそのものを神聖なものとして見る価値観から利用することも可能です。</p>
<p>言い換えれば、ボランティアそのものが一種の権威であり、自分を大きく見せるための好材料の一種であるとも言えるでしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかしボランティアという権威を利用するあまりに、増長し過ぎて横柄な態度を棚にあげてしまったり、権威を利用して他人の行動を支配しコントロールしていい理由にはなりません。</p>
<p>権威を借りて盾にする以上は、借りた権威を汚すことが無いように細心の注意を払うことが重要です。</p>
<p>権威のある団体のボランティア活動に参加したからといって調子に乗ったり、有名な募金団体に募金したからといって調子乗るのは、団体の名を借りてネガティブキャンペーンをしていると捉えられるのも無理はありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また、「権威のあることならなんでも従う」とする姿勢についても、疑問が残ります。</p>
<p>国家や集団という権威がある人間の集団であっても、集団心理が働くこと集団内部で何の反論や異論も出ない状態になり、外部から見ておかしな方向に進んでしまうことがあり、無批判に推奨できるものではありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>関連記事</p>
<div class="blog-card internal-blog-card blog-card-thumbnail-right blog-card-wide cf"><div class="blog-card-thumbnail"><a href="https://mental-kyoka.com/archives/4349" class="blog-card-thumbnail-link"><img width="100" height="100" src="https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/07/syuudanshinri-merito-100x100.jpg" class="blog-card-thumb-image wp-post-image" alt="集団心理のメリットについて" srcset="https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/07/syuudanshinri-merito-100x100.jpg 100w, https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/07/syuudanshinri-merito-150x150.jpg 150w, https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/07/syuudanshinri-merito-50x50.jpg 50w" sizes="(max-width: 100px) 100vw, 100px" /></a></div><div class="blog-card-content"><div class="blog-card-title"><a href="https://mental-kyoka.com/archives/4349" class="blog-card-title-link">集団心理のメリットについて</a></div><div class="blog-card-excerpt">人間が集団になると起きる、冷静さを欠いた特有の心理状態のことを「集団心理(群集心理)」呼びます。一般的に、集団心理は集団パニックやヒステリー、倫理観・罪悪感の欠如などのデメリットの部分が強調されがちですが、この記事では集団心理のメリットについて説明しています。</div></div><div class="blog-card-footer"><div class="blog-card-site"><span class="blog-card-favicon"><img src="//www.google.com/s2/favicons?domain=mental-kyoka.com" class="blog-card-favicon-img" alt="" width="16" height="16" /></span><a href="https://mental-kyoka.com">mental-kyoka.com</a></div><div class="blog-card-hatebu"><a href="//b.hatena.ne.jp/entry/https://mental-kyoka.com/archives/4349" rel="nofollow"><img src="//b.hatena.ne.jp/entry/image/https://mental-kyoka.com/archives/4349" alt="" /></a></div></div></div>
<div class="blog-card internal-blog-card blog-card-thumbnail-right blog-card-wide cf"><div class="blog-card-thumbnail"><a href="https://mental-kyoka.com/archives/2918" class="blog-card-thumbnail-link"><img width="100" height="100" src="https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/03/syuudan-shinri-100x100.jpg" class="blog-card-thumb-image wp-post-image" alt="人は群れると馬鹿になる「集団心理(群集心理)」で起きる行動の特徴について" srcset="https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/03/syuudan-shinri-100x100.jpg 100w, https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/03/syuudan-shinri-150x150.jpg 150w" sizes="(max-width: 100px) 100vw, 100px" /></a></div><div class="blog-card-content"><div class="blog-card-title"><a href="https://mental-kyoka.com/archives/2918" class="blog-card-title-link">人は群れると馬鹿になる「集団心理(群集心理)」で起きる行動の特徴について</a></div><div class="blog-card-excerpt">集団になると調子に乗ってしまったり、常に誰かと群れていないと不安を感じることは、集団心理(群集心理)が影響しています。集団心理はとても恐ろしく、いじめやデモの暴徒化を招く原因とも考えられてます。どんな人でも集団心理に飲み込まれて、普段ならしないようなバカみたいな行動をしてしまうのが集団心理の問題点とも言えます。</div></div><div class="blog-card-footer"><div class="blog-card-site"><span class="blog-card-favicon"><img src="//www.google.com/s2/favicons?domain=mental-kyoka.com" class="blog-card-favicon-img" alt="" width="16" height="16" /></span><a href="https://mental-kyoka.com">mental-kyoka.com</a></div><div class="blog-card-hatebu"><a href="//b.hatena.ne.jp/entry/https://mental-kyoka.com/archives/2918" rel="nofollow"><img src="//b.hatena.ne.jp/entry/image/https://mental-kyoka.com/archives/2918" alt="" /></a></div></div></div>
<p>&nbsp;</p>
<script async src="https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script>
<!-- メンタルディスプレイ -->
<ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-client="ca-pub-3566556475066919"
     data-ad-slot="1233055075"
     data-ad-format="auto"
     data-full-width-responsive="true"></ins>
<script>
     (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script>
<p>&nbsp;</p>
<h2>社会的交換理論から見るボランティア活動</h2>
<p>ボランティア活動は働きに対して基本的に無償。仕事をすれば給料が手に入るのが当たり前の状態において、ボランティア活動はその当たり前が通用しない状況と言えます。</p>
<p>もちろん、その代わりにお金では手に入れられない経験が手に入ることもあるかもしれませんが「ボランティアの時間をお金に換算すればこれだけの給料が手に入るのに…」と思ったことがある人も、ひょっとしたらおられようかと思います。</p>
<p>かくいう筆者も学生時代に単位のためにボランティア活動に参加したことがありますが、無償なのは最初から分かっていたものの、やはり働きに対するわかりやすい見返り(＝お金)がない状況に葛藤を覚えたことは否定しません。</p>
<p>だからこそ、お金以外で代わりに手に入れられるもの…つまり、承認、賞賛、権威、ボランティアをしているという立場、そして学生の場合なら単位を求めるようとする心理が働くのではないかと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このような心理については「社会的交換理論」が関連していると分析できます。</p>
<p>社会的交換理論とは人間関係をコストと報酬の交換により成り立つものを考える理論。報酬は金銭的なものに限らず感謝や承認などの心理的なものも報酬に含まれます。</p>
<p>また、費用に対して適切な報酬が受け取れない関係は居心地の悪さを感じると社会的交換理論で説明されています。</p>
<p>ボランティアの場合なら、金銭的な報酬はまず手に貼らないので、代わりに承認、賞賛などの心理的な報酬を求めようとするのも、差し出しているコストを考えれば自然なものと言えます。</p>
<p>しかし、金銭とは違い心理的な報酬は数値化することが難しく、また受け取り方にも個人差があります。</p>
<p>ちょっとだけ感謝されて喜ぶ人もいれば、何度感謝しても全然満足しない人もいるように、差し出したコストに見合わないような心理的報酬を求めてしまうことがあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>社会的的交換理論を通して見れば、ボランティア活動のせいで思い上がったり、気分が増長している人は「ボランティア活動で元を取りたい」とか自分のコスト以上のものを回収したいという心理が働いているのだと考えることもできます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>関連記事</p>
<div class="blog-card internal-blog-card blog-card-thumbnail-right blog-card-wide cf"><div class="blog-card-thumbnail"><a href="https://mental-kyoka.com/archives/2436" class="blog-card-thumbnail-link"><img width="100" height="100" src="https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/02/mikaerimotomeruhito-100x100.jpg" class="blog-card-thumb-image wp-post-image" alt="他人に見返りを求める人の心理学「社会的交換理論」" srcset="https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/02/mikaerimotomeruhito-100x100.jpg 100w, https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/02/mikaerimotomeruhito-150x150.jpg 150w" sizes="(max-width: 100px) 100vw, 100px" /></a></div><div class="blog-card-content"><div class="blog-card-title"><a href="https://mental-kyoka.com/archives/2436" class="blog-card-title-link">他人に見返りを求める人の心理学「社会的交換理論」</a></div><div class="blog-card-excerpt">仕事で手伝ってあげたのに「ありがとう」という感謝の言葉が貰えず、相手のことを嫌ってしまったり、感謝の言葉がもらえないことに腹を立てている自分</div></div><div class="blog-card-footer"><div class="blog-card-site"><span class="blog-card-favicon"><img src="//www.google.com/s2/favicons?domain=mental-kyoka.com" class="blog-card-favicon-img" alt="" width="16" height="16" /></span><a href="https://mental-kyoka.com">mental-kyoka.com</a></div><div class="blog-card-hatebu"><a href="//b.hatena.ne.jp/entry/https://mental-kyoka.com/archives/2436" rel="nofollow"><img src="//b.hatena.ne.jp/entry/image/https://mental-kyoka.com/archives/2436" alt="" /></a></div></div></div>
<div class="blog-card internal-blog-card blog-card-thumbnail-right blog-card-wide cf"><div class="blog-card-thumbnail"><a href="https://mental-kyoka.com/archives/4651" class="blog-card-thumbnail-link"><img width="100" height="100" src="https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/08/kansya-motomeru-100x100.jpg" class="blog-card-thumb-image wp-post-image" alt="他人に感謝を求めてくる人の心理と問題点" srcset="https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/08/kansya-motomeru-100x100.jpg 100w, https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/08/kansya-motomeru-150x150.jpg 150w, https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/08/kansya-motomeru-50x50.jpg 50w" sizes="(max-width: 100px) 100vw, 100px" /></a></div><div class="blog-card-content"><div class="blog-card-title"><a href="https://mental-kyoka.com/archives/4651" class="blog-card-title-link">他人に感謝を求めてくる人の心理と問題点</a></div><div class="blog-card-excerpt">二次元のツンデレキャラでもないのに、やたらと「私に感謝しなさい」と言わんばかりに感謝を求めてきたり、場合によっては感謝を強要してくる人ととい</div></div><div class="blog-card-footer"><div class="blog-card-site"><span class="blog-card-favicon"><img src="//www.google.com/s2/favicons?domain=mental-kyoka.com" class="blog-card-favicon-img" alt="" width="16" height="16" /></span><a href="https://mental-kyoka.com">mental-kyoka.com</a></div><div class="blog-card-hatebu"><a href="//b.hatena.ne.jp/entry/https://mental-kyoka.com/archives/4651" rel="nofollow"><img src="//b.hatena.ne.jp/entry/image/https://mental-kyoka.com/archives/4651" alt="" /></a></div></div></div>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
										</item>
		<item>
		<title>偽善者がうざいと感じる心理の正体について</title>
		<link>https://mental-kyoka.com/archives/3838</link>
				<pubDate>Sun, 24 Jun 2018 13:14:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[メンタルの教科書 中の人]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[人間関係]]></category>
		<category><![CDATA[ボランティア]]></category>
		<category><![CDATA[チャリティ]]></category>
		<category><![CDATA[メサイアコンプレックス]]></category>
		<category><![CDATA[偽善者]]></category>

		<guid isPermaLink="false">https://mental-kyoka.com/?p=3838</guid>
				<description><![CDATA[自己犠牲の精神で誰かを助けたり、ボランティアその社会的な奉仕活動に勤しんでいるのにもかかわらず、どこか利己的な感情が隠しきれなかったり、自分をよく見せるためだけのイメージ戦略としてボランティア活動に勤しんでいる… すなわ]]></description>
								<content:encoded><![CDATA[<p>自己犠牲の精神で誰かを助けたり、ボランティアその社会的な奉仕活動に勤しんでいるのにもかかわらず、どこか利己的な感情が隠しきれなかったり、自分をよく見せるためだけのイメージ戦略としてボランティア活動に勤しんでいる…</p>
<p>すなわち、偽善者や偽善と思われるような行動をしている人に対して、どことなく怪しい、うざい、胡散臭いと言うような感情を抱いてしまうことがあるものです。</p>
<p>表面的には確かに良い行いをしているのには変わりない。でも、その行いの目的が、自分の評判や利益のみから来るものであったり、よくよく観察していくとただのありがた迷惑になっている、善意の押し付けになっていると言う場合において、私たちは違和感を覚えるものです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>なお、こうして書くとひねくれているとか、素直さが足りないとか「やらない善よりやる偽善の方がよっぽどいい」と言われてしまうと思います。</p>
<p>一般的に、人の善意からくる行動に対してひょっとしたら偽善かもしれないとうがった目で見ることはあまり良いことだとされていない風潮があります。</p>
<p>しかし、善意の行動だからこそ、その裏にある思惑や心理についてよく知っておくことや観察を重ねる事は、自分自身が偽善者になったり、偽善に走ることになる承認欲求や虚栄心、コンプレックスなどを克服するためにも大事だと感じます。</p>
<p>今回は、そんな偽善に関する心理について、お話したいと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="su-box su-box-style-default" style="border-color:#185c98;border-radius:3px"><div class="su-box-title" style="background-color:#1e73be;color:#FFFFFF;border-top-left-radius:1px;border-top-right-radius:1px">こちらもおすすめ</div><div class="su-box-content su-clearfix" style="border-bottom-left-radius:1px;border-bottom-right-radius:1px">
<p><a href="https://mental-kyoka.com/archives/3849">不謹慎厨が不謹慎狩りをする心理とその背景</a></p>
<p><a href="https://mental-kyoka.com/archives/3684">メサイアコンプレックス　困っている人をやたら助ける人に感じる違和感について</a></p>
</div></div>
<p>&nbsp;</p>
<h2>偽善者に覚えるうざさ・違和感の正体</h2>
<h3>困っている人を助けている自分に陶酔している</h3>
<p>偽善者に感じる違和感の1つとして、困っている人を助けると言う行動そのものに陶酔している、すなわち良い事をしている自分に酔っていると言うものがあります。</p>
<p>これは、さながら自分が困っているものを助ける正義正義そのものであるかのように振る舞いや、アピールから何となく違和感を覚える人が多いことでしょう。</p>
<p>もちろん、困っている人を助けることそのものは素晴らしいことでありますが、陶酔しているあまりにナルシストのような鼻につく態度や「こんなに頑張っている自分を尊敬しない方がおかしい」と言うような上から目線の態度が偽善者に感じるうざさの原因だと感じます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>困っている人を利用して自分をよく見せるという点</h3>
<p>偽善者には、困っている人を自分をよく見せるための材料のように扱っていることがあげられます。</p>
<p>普通に自分1人で「自分は優しい人ですよ、慈悲深い人ですよ」アピールしても、説得力に欠けるものです。</p>
<p>そのため、説得力をつける方法として困っている人を実際に人助けをすることで、優しさや慈悲深さと言った自分の魅力をより効果的にアピールすることができます。</p>
<p>しかし、ここで注意しておきたいのは困っている人を助ける場面において、偽善者となる人はあくまでも困ってると人を1人の人間として見ているのではなく、自分をよく見せるためだけの材料として見ていると言う点です。</p>
<p>こうなると、<strong>善い行いは材料(困っている人)を用いたアリバイ作りでしかなく、後述するような厚かましさ、押し付けがましさと言った自分本位でわがままな善意の押し売りになりがちです。</strong></p>
<p>確かに表面的に見れば良いことをしているのに、結果として偽善と受け取られてしまうありがた迷惑で残念な結果になることが多いのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>助ける人に対する厚かましさ、恩着せがましさ</h3>
<p>良い行いをすれば確かに気分は良くなるものですが、気分が増長しすぎた結果</p>
<ul>
<li>私に感謝しなさいよ</li>
<li>私が助けてやったんだからな</li>
</ul>
<p>と言うような厚かましい気持ちが、態度や行動に出てしまうことがあるものです。</p>
<p>このような厚かましい態度が出てしまうと、いくら良い行いをしたとしても、それは「ただ自分が気持ちよくなりたいだけの自己満足なんだ」と言うようながっかりとした気分になってしまう人が多いものです。</p>
<p>もちろん、良い行いをしていい気分に浸りたいと言う気持ち自体は否定しませんが、「いい気分に浸りたい」と言う思いを言葉や態度で表明すれば、それに対して失望や落胆といった声が出てくるのは避けられないことだと肝に銘じておくことが大事だと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<script async src="https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script>
<!-- メンタルディスプレイ -->
<ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-client="ca-pub-3566556475066919"
     data-ad-slot="1233055075"
     data-ad-format="auto"
     data-full-width-responsive="true"></ins>
<script>
     (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script>
<p>&nbsp;</p>
<h3>困っている人を利用し承認欲求を満たそうとしている点</h3>
<p>特に、承認欲求が強く人から認められたいと言う人ほど、自分がどれだけ周りに尽くしたとかボランティアに打ち込んだなどの経歴をアピールして周囲からの尊敬や同意を求めるものですが、その露骨なアピールこそ偽善と思われてしまう根源です。</p>
<p>もちろん、結果として困っている人の役にたっているのなら、承認欲求を満たす事は成功と言えますが、常に承認欲求を満たすために困っている人を探し続けるのはそう簡単なことではないと感じます。</p>
<p>というのも、困っている人を助けて悩みを解決したら、当然ながらその関係はそこまで途切れれることが多いからです。</p>
<p>例えば、医者が困っている人(患者)を助けたことで無事完治した場合、とくに困ったところがなければ元患者は医者のもとを訪れなくなるのと同じで、誰かを助けることで承認欲求を満たし続けるためには常に困っている人を求め続けなければいけません。</p>
<p>また、もしもその気になれば困っている人を生かさず殺さずの状態にしておくことで、自分の元から離れないようにする、というような<a href="https://mental-kyoka.com/archives/3684">メサイアコンプレックス</a>にも見られる共依存の関係を生み出すことも否定できません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="su-box su-box-style-default" style="border-color:#185c98;border-radius:3px"><div class="su-box-title" style="background-color:#1e73be;color:#FFFFFF;border-top-left-radius:1px;border-top-right-radius:1px">こちらもおすすめ</div><div class="su-box-content su-clearfix" style="border-bottom-left-radius:1px;border-bottom-right-radius:1px">
<p><a href="https://mental-kyoka.com/archives/1787">承認欲求が強すぎることの弊害について。</a></p>
<p><a href="https://mental-kyoka.com/archives/1685">承認欲求は気持ち悪くてうざい？　「認められたい」という気持ちを不快に感じる理由とは</a></p>
</div></div>
<p>&nbsp;</p>
<h3>すぐに感謝されるようなことだけ率先してやろうとする点</h3>
<p>偽善者だと思われてしまう行動の1つだとして、とにかくわかりやすい善行や効率的に自分をよく見せることができる活動にのみ率先してやろうとしているということがあります。</p>
<p>例えば、人を助けるにしても普通に男性を助けるよりも、</p>
<ul>
<li>女性や子供</li>
<li>障害者</li>
<li>海外の恵まれない子供たち</li>
</ul>
<p>と言った社会的な立場が弱い人や「偉い！」と言ってもらいやすい人達を助けた方が話題を呼びやすく周囲から評判を手に入りやすいものです。</p>
<p>もちろん、善行そのものに優劣をつけること自体かなり乱暴な考え方だと思います。しかし、世間を見渡してみると、やはり評判になりやすい善行となりにくい善行があり、自分の評価や体裁を気にしている人こそ、手っ取り早く評価をやるために感謝されやすい相手を選んで助けようとする…そんな下心が偽善者に感じる違和感やうざさとさの正体だと感じます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<script async src="https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script>
<!-- メンタルディスプレイ -->
<ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-client="ca-pub-3566556475066919"
     data-ad-slot="1233055075"
     data-ad-format="auto"
     data-full-width-responsive="true"></ins>
<script>
     (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script>
<p>&nbsp;</p>
<h2>良い事をしている人ほど、良い行動を正当化しすぎ暴走してしまう</h2>
<p>これは偽善者を含む言われる良いことをしている人に共通している事なのですが、良いことをしている人ほど自分の行動が正しいと信じて疑わなかったり、<a href="https://mental-kyoka.com/archives/3010">自己正当化</a>してしまい行動がエスカレートしてしまうことがあります。</p>
<p>これは、良いこととは</p>
<ul>
<li>社会的に認められていること</li>
<li>絶対的な正義であり批判される余地がないこと</li>
<li>正しいことなので積極的にやるべきである。</li>
</ul>
<p>と言うような、自分自身の行動や考えをより強固なものにさせてしまい、結果として困っている人の主張や考えを無視したありがた迷惑に陥っても、反省できなくなってしまうことにつながる恐れがあります。</p>
<p>特に日本の場合だと、ボランティア活動や自己犠牲による行動そのものが議論を重ねられず、見習うべき美談として語られ持ち上げらてしまうことが多いことも影響していると思います。</p>
<p>そのため、</p>
<ul>
<li>「自分がやっている良い行いが、その場しのぎではなく本当に相手のためになっている良い行いなのか？」</li>
<li>「善行だと信じて正しいことをすれば、本当に自分も相手も幸せになれるのだろうか？」</li>
</ul>
<p>という疑問を持つことすら、野暮で空気の読めない行動であると感じて、疑問を感じていても口に出しにくいように感じます。</p>
<p>また、善い行い自体に、言葉ではうまく説明できないブランドのようなもの。すなわち権威を感じて、権威にひれ伏してしまうことも影響しているように感じます(＝<a href="https://mental-kyoka.com/archives/3705">権威主義的パーソナリティ</a>)</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>なお、心理学では、<a href="https://mental-kyoka.com/archives/2918">集団心理(群衆心理)</a>や<a href="https://mental-kyoka.com/archives/2875">集団極化</a>、<a href="https://mental-kyoka.com/archives/2904">傍観者効果</a>のように、人が集団になることで起きる考えや行動の暴走、そして自分が行っている行動に対する責任感の低下が、 偽善的な行いを助長させているように感じることもあります。</p>
<p>特に集団で良いことをするとなると、どうしても集団の雰囲気や空気には逆らうことができないものですし、良いことを知っていると言う大義名分を得ることで、集団が行っている行動に対して疑念や疑問を抱きにくくなってしまう現象は、ボランティアなどの良い行いをする上では向き合っていくべき問題だと感じています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<script async src="https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script>
<!-- メンタルディスプレイ -->
<ins class="adsbygoogle"
     style="display:block"
     data-ad-client="ca-pub-3566556475066919"
     data-ad-slot="1233055075"
     data-ad-format="auto"
     data-full-width-responsive="true"></ins>
<script>
     (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
</script>
<p>&nbsp;</p>
<h2>「やらない善よりやる偽善」について感じること</h2>
<p>偽善について語るときによく聞くのが「やらない善よりやる偽善」と言う言葉です。この言葉の発祥は、匿名掲示板の2ちゃんねるや漫画「鋼の錬金術師」など諸説あります。</p>
<p>人の良い行いに対してただ文句を言っているだけの人と違うって、たとえ偽善であっても良い行いをする方が確かに救われる人や、幸せになれる人が出てくるのは事実だと思います。</p>
<p>しかし、「<strong>やらない善よりやる偽善」という言葉を盾にして、自分の邪な感情や下心からくる行動を自己正当化したり、自分の行っている行動を全然振り返ろうとしないのは別の話だと思います。</strong></p>
<p>また、「やらない善よりやる偽善」を堂々と主張した上で行う善行を快く受け取ってくれるかどうかまでは自分の力ではコントロールできないことなのは言うまでもありません。</p>
<p>もちろん、うっすら偽善と自覚している行動だけに、やっぱり人の助けにならなかったり根本的な解決にはならずただ困っている人を振り回すだけの徒労に終わることも否めません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>困っている人を助けたい、誰かを助けることで役に立ちたいという気持ちを持つことそのものは素晴らしいと思いますが、しっかり助けるためにはただ闇雲に突っ走るだけではいけないと思います。</p>
<p>誰かを助けなければいけない場面そのものは、どうしても焦りとは切っては切れないものだと思いますが、だからこそ冷静になって自分の行動を振り返ってみたり、上からただものを与える・施すというような立場で接するのではなく、相手の立場に立って考えて見るなどの心がけを持つことも大事だと感じます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>関連記事</p>
<div class="blog-card internal-blog-card blog-card-thumbnail-right blog-card-wide cf"><div class="blog-card-thumbnail"><a href="https://mental-kyoka.com/archives/4388" class="blog-card-thumbnail-link"><img width="100" height="100" src="https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/07/zikogisei-uzai-100x100.jpg" class="blog-card-thumb-image wp-post-image" alt="自己犠牲がうざいと感じる理由" srcset="https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/07/zikogisei-uzai-100x100.jpg 100w, https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/07/zikogisei-uzai-150x150.jpg 150w, https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/07/zikogisei-uzai-50x50.jpg 50w" sizes="(max-width: 100px) 100vw, 100px" /></a></div><div class="blog-card-content"><div class="blog-card-title"><a href="https://mental-kyoka.com/archives/4388" class="blog-card-title-link">自己犠牲がうざいと感じる理由</a></div><div class="blog-card-excerpt">自分の身を粉にして子供のために睡眠時間を削り働く親。肩の痛みを必死に耐えて投げる高校球児。

このような「自己犠牲」に打ち込む人は、大抵</div></div><div class="blog-card-footer"><div class="blog-card-site"><span class="blog-card-favicon"><img src="//www.google.com/s2/favicons?domain=mental-kyoka.com" class="blog-card-favicon-img" alt="" width="16" height="16" /></span><a href="https://mental-kyoka.com">mental-kyoka.com</a></div><div class="blog-card-hatebu"><a href="//b.hatena.ne.jp/entry/https://mental-kyoka.com/archives/4388" rel="nofollow"><img src="//b.hatena.ne.jp/entry/image/https://mental-kyoka.com/archives/4388" alt="" /></a></div></div></div>
<div class="blog-card internal-blog-card blog-card-thumbnail-right blog-card-wide cf"><div class="blog-card-thumbnail"><a href="https://mental-kyoka.com/archives/3073" class="blog-card-thumbnail-link"><img width="100" height="100" src="https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/03/kouseisekai-100x100.jpg" class="blog-card-thumb-image wp-post-image" alt="公正世界仮説「努力は報われる」「被害者にも原因がある」と考えてしまう心理的な理由" srcset="https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/03/kouseisekai-100x100.jpg 100w, https://mental-kyoka.com/wp-content/uploads/2018/03/kouseisekai-150x150.jpg 150w" sizes="(max-width: 100px) 100vw, 100px" /></a></div><div class="blog-card-content"><div class="blog-card-title"><a href="https://mental-kyoka.com/archives/3073" class="blog-card-title-link">公正世界仮説「努力は報われる」「被害者にも原因がある」と考えてしまう心理的な理由</a></div><div class="blog-card-excerpt">スポーツをしている人の間でよく聞く言葉として「努力は報われる」というものがあります。

女子マラソンの高橋尚子選手の名言としても有名な「</div></div><div class="blog-card-footer"><div class="blog-card-site"><span class="blog-card-favicon"><img src="//www.google.com/s2/favicons?domain=mental-kyoka.com" class="blog-card-favicon-img" alt="" width="16" height="16" /></span><a href="https://mental-kyoka.com">mental-kyoka.com</a></div><div class="blog-card-hatebu"><a href="//b.hatena.ne.jp/entry/https://mental-kyoka.com/archives/3073" rel="nofollow"><img src="//b.hatena.ne.jp/entry/image/https://mental-kyoka.com/archives/3073" alt="" /></a></div></div></div>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
										</item>
	</channel>
</rss>
